私小説的写真考
        ≪私小説的写真考≫

        ある写真サークルの中の会話から考えたこと。

        日本は政治的な面からは社会保障的観点に乏しく
        個々の人生、生活の結果の多くは「自己責任」「自助努力」にその原因を求める傾向にある。
        日本文学はそうした流れにあるのか、思考が狭く、袋小路に陥りがち。
        そうした社会的傾向は日本の文学に私小説と言う分野を開いたようだが。
        石川啄木の「時代閉塞の現状」はそう言う流れを批判したものらしい。

        その傾向は単に小説に留まらず、「日本の写真の世界に見られる傾向」との発言に出会った。

        私は写真についても(これまでやってきた陶芸や絵画も中途半端で何かと追及が浅い。)
        よくよく深く考えたことはなかったのだが、
        「そうなのか」と、これまで考えたこともなかった話だったので新鮮だった。

        現代は病み、豊かなはずであるのに満足感は得られず、
        個々はバラバラで孤独。
        共同体も、家族も壊れ、助け合う心に欠ける。
        嘆かわしいことだが、小説や写真等芸術は
        そういうことに対しての答えを探す作業でもあるはずだ。

        日本の写真界が私小説的傾向が強いか否かと言うことを云々できるほどの
        知識は私にはないので、その正否についてはわからない。
        が、写真を撮る上での、鑑賞する上での一つのヒントにはなった。
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        【2017/09/12 10:48】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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